美術作品における研究活動の意義
美術作品が現存していく過程のなかには、制作者だけでなくあたかも万華鏡のように政治や経済、文化、時代や風土など、あらゆる文様を窺い知ることができます。このことは、美術作品そのものが直接的、間接的にももたらされるメッセージであり、美術作品の根本的な存在意義といえましょう。
例えば、唐津焼の潮流、変遷を辿ってみれば、そこには、朝鮮半島との地理的関係、16世紀後半の豊臣秀吉の朝鮮出兵によって連行された多くの朝鮮人陶工の存在、千利休における茶の湯の盛行があり、さらには徳川時代以降、長崎からの海外貿易において開けていった需要により、その技術は発展し人々に共有されていきました。また、19世紀後半からの漆器や陶磁器などの海外への輸出の副産物として、カウンターカルチャーと見られていた浮世絵が、計らずしてジャポニスムに代表される西洋での注目から思いがけなく勃興した経緯などを考えてみても、興味深い人間の歴史と文様を見ることができます。すなわち美術史学の考察は、細密であればあるほどその時代の人々の息吹や嘆声を、より聞き取ることができるのです。このような美術作品を生み出してきた歴史的視座は、現在の政治経済の力学からは見出すことのできない重要な回答例を示唆していることもあります。
現在、各大学や美術館、博物館はこうした研究を行っていますが、美術史という分野の特殊性や専門性によって、閉鎖的な印象を与えてきたといえます。また、経済利益優先の今日の時代性によって社会が関心を寄せにくい状況がある事実も否定できません。だからこそ、アートラボ長崎研究所は、これら社会教育機関との連携に努めながらも、ときにこれら組織が実現困難と思われる試みにも挑戦します。当研究所の理念は、美術作品の研究を通じて、それを生み出してきた文化をも考察し、その歴史的視座を社会や未来の希望のために確保することです。

美術研究における地理的必然性
美術作品は、制作者の才能だけが生み出すものではありません。時代の潮流や需要、人々の権威や欲望、あるいは喪失性も重要な要素になると考えられます。そうしたさまざまな要素のなかから、当研究所は地理的必然性を重要視しています。近代以降の日本において、美術研究を行いやすいと考えられる環境は、やはり東京にあると思われます。しかし、このことは学術研究においてさえ、時の政治、経済に影響を受けることの裏返しです。当研究所が、地理的条件にこだわる理由はこのことに端を発しています。
あらゆる土地には、人と作品の霊性を内包し、その地平のためにあるような哲学や芸術、文化があります。人々は、だれがその作品を作ったのかを記憶するのではなく、あたかも土地の名を作品の制作者であるかのように囁くこともあります。その代表が、やきものや織物、染色などであるといえるでしょう。
やきものであれば、その土地の粘土の特性や気候に影響された陶器や磁器などが生み出され、染色であればその地に群生する植物による技法が模索され普及しました。これは、その当時の流通性から考えてみれば、かつての日本の文化は、決して都心部一辺倒のものではなく、実に幅の広い視座に立っていたことの証左です。このことは、地方都市の豊かさを物語っているのと同義であり、それゆえに人的交流や技術の共有、発展を促してきたのだと知ることができます。
地域の美術史学研究は、すなわち豊かさの研究であり、忘れ去られた可能性の学でもあるのです。こうした未開拓の分析と研究をあえて試み、社会や人間にとっての真の豊かさを導き出すこと。これも当研究所の理念です。

アートラボ長崎研究所には、美術画集、芸術、哲学、文学、民俗学の著作を中心におよそ2万冊の資料が収蔵されており、これらが当研究所の求める研究と分析の第一義に活用されます。また、周辺地域には各公共図書館や資料博物館が多く点在しており、地域ならではの貴重な資料を閲覧できる環境にあります。また、名窯、歴史的建造物、史跡なども数多く、歴史の揺籃を感じ取ることができます。